meiyo|音楽と生きる、音楽で生きる 音楽でみんなと相思相愛になりたい

楽曲やライブなどを通じてリスナーの生活に潤いを与えてくれるアーティストやクリエイターは、普段どのようなことを考えながら音楽活動を行っているのだろう。日本音楽著作権協会(JASRAC)との共同企画となる本連載では、さまざまなアーティストに創作の喜びや苦悩、秘訣などを聞きつつ、音楽活動を支える経済面に対する意識についても聞いていく。

第9回は、音楽家のmeiyoが登場。TikTokに投稿した「なにやってもうまくいかない」で一躍有名になり、2021年にメジャーデビューしたmeiyoだが、実はそのキャリアは長い。2009年から2015年まではオルタナティブロックバンド・シガテラのドラマーとして活動し、バンドが活動休止してからはワタナベタカシ名義で自ら歌い始め、そして2018年にmeiyoへと改名した。「自分が好きな音楽を作れば売れると思ってた」というソロ初期から、「バズるために必要なこと」を分析するようになった改名後、そして音楽で暮らせるようになった現在まで、リアルな心情を赤裸々に語ってくれた。

取材・文 / 張江浩司撮影 / TOYOHIRO MATSUSHIMA
撮影協力 / Amazon Music Studio Tokyo

プロフィール

meiyo(メイヨー)

meiyo

1991年生まれの音楽家、ドラマー。2015年にワタナベタカシ名義、2018年にmeiyo名義でソロ活動を開始。2021年、TikTokに投稿した楽曲「なにやってもうまくいかない」でバズを巻き起こし、ユニバーサルミュージックよりメジャーデビューを果たす。2023年12月にメジャー1stアルバム「POP SOS」をリリースした。

自分が好きな音楽を作れば売れると思ってた

──meiyoさんが音楽活動を始めたのはいつ頃ですか?

高校3年生で軽音部に入ってバンドを始めて、そこからオリジナル曲をやるようになりました。その頃は、変拍子だらけのポストロックだけどポップで聴きやすい感じのバンドをよく聴いていて、シガテラというバンドを組んでそういう音楽をやってました。ほかにも凛として時雨とかアナログフィッシュとかをいっぱい聴いてましたね。行きたかった大学に落ちちゃったから、そのままヌルッとバイトしながらバンドを続けることにしました。

──「バンドで食っていくぞ!」というような決意があったわけではなく。

そうですね。そこまで考えてなかったです。漠然と「売れたいな」とは思ってはいました。Zepp Tokyoでライブをやりたいとか、それくらいの感じですね。自分が好きなバンドくらいには売れたいなと。

──シガテラはmeiyoさんが24歳のときに解散してしまいます。

当時はドラマーだったんですけど、ほぼほぼ自分がバンドを終わらせちゃったようなところもあって。メンバーとの折り合いのつかなさの最終的な原因は自分だったというか。解散する前からソロ音源を軽く作り始めていたんです。それをどうやって発表しようかなと思ったときに、もう誰かと一緒にバンドをやるのは無理だなと思ったんですよね。自分なんかが曲作ってドラム叩いて、別の人に歌ってもらうのも悪いなと。対価も払えないし。じゃあ自分で歌うかと思って、ソロ活動を始めました。

meiyo

──「バンドやろう」と人を誘うのも、なかなか決心が必要なことですもんね。

人を招き入れることなので、気も使うし、恥ずかしいし、なんとも言えないです。

──そこで音楽を辞めるという選択肢はなかったんですか?

それはなかったです。音楽をやってないと知り合えない友達ばかりのコミュニティにいたんですよね。音楽を辞めたら本当にバイト先の人としか関わりがなくなっちゃうから、ここでスパッと切っちゃうのは怖かったです。音楽を続けないと、みんなと仲よくできない(笑)。もちろん音楽そのものも好きだし、続けていくことしか考えてなかったですね。

──経済的に音楽で生きているわけではないけど、人間関係や生活のベースはすっかり音楽になっていたと。「気付いたら音楽で生きていた」という状態ですね。

今まで考えたことなかったですけど、完全にそうですね。音楽をやってないと人間が変わっちゃうというか。知らない国に急に引っ越すのと変わらない状態になっちゃうから、それは嫌だなと。

──ソロを始めた頃は、どういった考えで曲を作っていたんですか?

自分が好きな音楽を作れば売れると思ってました。こんなに自分がいいと思える曲なんだから、ほかの人にも同じくらい刺さるだろう、と。淡い期待を持ってましたね。

──一方で、POLLYANNAや侍文化といったバンドにも参加します。

ライブを観ていると、「このバンドのドラムが自分だったら」と想像することがあるんですよね。そういうバンドからドラマーが抜けたら「叩きますよ!」と立候補したり、「やってくれない?」と声かけられて入ったり。

──自分でバンドに誘うのは忍びないけど、誘われるのはうれしいという。

「必要とされてる!」って気になりますよね。今考えると、逆も然りだったんですかね……。

「それでも聴かれない」という絶望……
からのモードチェンジ

──しかし、ソロを始めてからメジャーデビューまで6年かかりました。音楽を続けている同世代がだんだん少なくなっていったりもしたでしょうし、心が折れそうな瞬間はありませんでしたか?

自分はあんまりなかったですね。「いなくなる人もいるよね」と思いながら、それはそれかなと。例えばPOLLYANNAのギターのクロサワは3歳年下で、彼が20代前半の友達を連れてきてくれることもあったので。同世代は減ったけど、逆に慕ってくれる人も増えたというか。ワタナベタカシが音楽を辞めると思っている人は、周りに誰もいなかったと思うんですよ。そういうコミュニティがあったから、「売れなくて病む」というようなことはなかったですね。

──ライブハウス特有の居心地のよさってありますよね。

なんやかんやで、ずっとよくしてくれる人がいるんですよ、ライブハウスには。音楽でごはんを食べられるレベルじゃないけど、自主企画をやったら100人くらいお客さんが来てくれてましたし。どんなにライブやってもお客さんが10人しかいない、みたいな状況だったら病んでいたかもしれないですね。

──そういったスタンスでずっとライブハウスで活動するバンドマンは相当数いると思うんですが、meiyoさんは「なにやってもうまくいかない」を作る際にかなり「バズるために必要なこと」を分析されたといろいろなインタビューで話されています。これは大きなモードチェンジですよね。

2019年にめっちゃ好きだった桂田5というバンドが解散したんです。その時期の自分の音楽はほとんど桂田5に支配されていたくらい好きだったので、もう観られなくなっちゃったこととかを題材に「いつまであるか」という曲を作ったんですね。自分の音楽を総ざらいしたような曲になったんですけど全然聴かれなくて、挫折を味わいました。

──好きなバンドからの影響をモロに反映させた手応えのある曲ができたのに、それが受け入れられなかったと。

周囲の人間は「あの曲ヤバいね」と言ってくれて、なんなら桂田5の人たちも褒めてくれたから、自分の中では100点だったんですけどね。「それでも聴かれないのか」という絶望が明確にありました。そのときちょうど「ユーロビジョン」というヨーロッパの音楽コンテストを見ていて、上位のカッコいい人たちと似たことを自分でもやったらどうなるんだろうと思って打ち込みを始めたんです。チャレンジとして作ってみた曲がちょっとだけ話題になって、SNSでの反応もあったんですよね。それまでは5いいねくらいだったのが、急に2000いいねとかになって。こういう曲が求められるんだなというのがわかったし、「meiyoっぽい曲だね」とも言ってもらえたんですよ。だったらこの方向でやってみようかなと。結果的に「いつまであるか」にたどり着く人が増えればいいなという思いもあって。一旦これまでのモードの100点をここに置いておくというか。これを捨てる必要はないし、まずは知ってもらうことが大事なのかなと。変な話、1曲だけでもめちゃくちゃバズれば、それで好きな音楽をやれるなという思いもありました。例えばその1曲で1000万円稼げるなら、アルバイトの金銭感覚でいうと5年は生活できる。好きなことやる猶予が5年伸びるなら、ここで本気を出そうかと思って。

──その本気がメジャーデビューにつながったわけですね。

「絶対にデビューしたい!」というわけでもなかったんですけどね。でも、レコード会社から声をかけてもらったときに、自分は音楽のことばっかり考えていたいから、宣伝とか経理とかを分業できるならしたいなと思って。あまり得意でない部分をやってもらえるならいいだろうと。それで一緒にやっていくことになって、さらに仕事としてバズるような分析や研究を始めたという感じでした。